今年はまだ2ヶ月しか経っていないけれど、ここまでのナンバーワン。数学の生い立ち、古代ギリシャからアジア、そして西欧数学へと巡る旅。その過程で筆者が見、そして辿り着いた岡潔の「情緒」。これまで理解できなかったこの「情緒」が本書を読んで、少しだけわかるような気になった。本書で説かれるような、あるいは岡潔の言う「わかった」の境地にはむろんまだまだ遠いが、少なくともその地にたった気がするだけで本書を手にとって良かったと言える。
いかなる
難問 を前にしても、常に「解ける」方に賭けて挑み続けたことだけは確かだ。不安の中に、すなわち間違う可能性 の中にこそ「心」があると、彼は誰よりも深く知り抜いていたからである。
P110
人はみな、「風景」の中を生きている。それは、客観的な環境世界についての正確な視覚像ではなくて、進化を通して獲得された知覚と行為の連関をベース、知識や想像力と言った「主体にしかアクセスできない」要素が
混入 しながら立ち上げる実感である。何を知っているか、どのような世界を理解しているか、あるいは何を想像しているかが、風景の現れ方を左右する。(中略)数学者とは、この風景の虜になってしまった人のことをいう。
P125-P126
数学的思考は、あらゆる思考がそうであるように、身体や社会、さらに生物としての進化や来歴といった、大きな時空間の広がりを舞台として生起する。脳内を見ていても、あるいは肉体の中だけを見ていても、そこに数学はないのだ。
P133-P134
次元が上がれば上がるほど、問題は難しくなりそうなものである。ところが、岡は、高次元の問題の難しさを緩めるために、かえってより一層高い次元の空間に「移行」するという、思い切った手法を編み出したのだ。元の空間よりもさらに高い「上空」に移るというイメージで、彼はそれを「上空移行の原理」と名付けた
P151-P152
数学する身体 | |
森田 真生 新潮社 2015-10-19 |